11月25日放送、TBSラジオ『東京ポッド許可局』より。
番組内の曲紹介コーナーで、矢沢永吉の『This is a song for Coca Cola』を取り上げ、マキタスポーツがこの曲に関する当時の音楽番組の大人の事情と、矢沢永吉の存在について言及。ロックのカリスマ・矢沢が、当時は炎上系ユーチューバー的な目で当時の大人たちに見られていたと語った。
マキタスポーツ:永ちゃん実はこれ、この後2年後にもう1回コカ・コーラで「Yes Coke Yes」ってキャッチコピーで『Yes My Love』っていう曲なんだけどそれ、「Yes Coke Yes」ってやつもやってるんですよ。そんときは永ちゃん顔出しして、永ちゃんがレコーディングしてて、スタジオとかでマイク振り回したりしてるパフォーマンスとかが、永ちゃんをフィーチャーした感じの映像でドーンとやるっていうCMコカ・コーラのCMでやってたんです。
だけど、この当時はまだ永ちゃんの顔出しをしてなかったと思うんですよね。CMでは。でも矢沢永吉って時の人で、当時1980年ぐらいって、まず1978年ぐらいに長者番付1位になるんですよ。
サンキュータツオ:まじで?
マキタスポーツ:そう。で、『成り上がり』っていう大ベストセラーになった永ちゃんの自伝があるんだけど、それがヒットして世の中は矢沢永吉というのが若者のカリスマで、当時ツッパリのアイコンとして、何かワーッと出てきて、それがもうとにかくロックっていうものでさビジネスして、ものすごくもう長者番付に1位になるっていうさ、カリスマになってるけど。
プチ鹿島:うん。
マキタスポーツ:大人たち、当時の大人たちとかは、もうなんかさ、戦前戦中な人たちがいっぱいまだ残ってる時代だから。
プチ鹿島:そうね、当時ね。
マキタスポーツ:なんか多分そういう人たちの目線から見たら、得体の知れないやつがコカ・コーラのCMを。
プチ鹿島:眉をひそめられて。
マキタスポーツ:それからだいぶ後なんだけど、矢沢永吉好きだったんで、永ちゃんのライブアルバムとかで、この曲を披露する機会を、収録されたライブアルバムがあるんだけど、「テレビ業界から締め出しくらった曲一発やるんでよろしく」みたいな感じでさ。
サンキュータツオ:へー
マキタスポーツ:珍しくライブとかで披露したんだけど、「テレビ業界でこれ締め出しくらった曲なんだ」とかっていうことを、なんかすごい引っかかった後で調べたら、これ『ベストテン』なんだよね。
プチ鹿島:うん。
マキタスポーツ:『ベストテン』で、やっぱ売れてるんだけど、売れてるから永ちゃん当然出て欲しいんだけど、『ベストテン』には、スポンサーがキリンが入ってる。
プチ鹿島:なるほど。
サンキュータツオ:あー、なるほど!
マキタスポーツ:その競合他社のコカ・コーラのCMソングとかで売れてるけど、それを取り扱うことができないジレンマが実はあったという。それに多分腹を立てて、そういうこと言っちゃう矢沢永吉。なんか、矢沢永吉って、もう今はもうロック界のカリスマみたいな感じだけどやっぱ今で言うと何つうんだろうね本当に炎上系ユーチューバーじゃないけど、なんかそういう…でも俺たちはあんまり知らないけどめちゃくちゃ売れてる人っているじゃない。
プチ鹿島:そうですね。
マキタスポーツ:それと同じような感じだったと思う。それが一大メーカーのあの清涼飲料水メーカーのスポンサーを…
サンキュータツオ:コカ・コーラとアメリカの文化を宣伝するのが、戦後派から出てきて。
マキタスポーツ:そうそう。
プチ鹿島:許可局、ポッドキャストやり始めの頃も矢沢永吉さんがいかに、何て言うのかな、自己プロデュースというかほら。
マキタスポーツ:そうそう。
プチ鹿島:自分でやって、ビジネスしていかなくちゃいけないから、なんかものまねの人とか…
マキタスポーツ:そうそう。許さないっていうね。
プチ鹿島:あのときちょっと話題になりましたもんね。なんかそこまで気にしなくても、でもなんかベンチャーをやってくには自分で管理していかなくちゃいけない。
マキタスポーツ:自分で管理する。自分で権利とかもうちゃんと自分で守る。だから、未だにこの人インディペンデント魂みたいなやつ持ってて、自分の会社で自分のレーベルで音盤とか音源とかの著作権とか、そういったものを管理したりとか、肖像権とかもちゃんと自分とこでちゃんとホールドして守ってやってくっていうことをやってる人なんで、なかなか面白い人ですが。永ちゃんが実はやってたという報告でございました。『This is a song for Coca Cola』