10月9日放送、TBSラジオ『JUNK 深夜の馬鹿力』より。
10月からニッポン放送での帯番組『伊集院光のタネ』がスタート。ニッポン放送で長くレギュラー番組を持つ笑福亭鶴光と接する機会があり、かつてオールナイトニッポンのリスナーだった伊集院がその思い出話を語った。
伊集院光:TBSにはなくてニッポン放送にあるもんですよ。もう代表…鶴光!鶴光あるわぁ!行ったら鶴光いるわ。笑福亭鶴光。なんか、ずっといんだよ鶴光!
構成作家:あはははは
伊集院光:もうしかもずっと元気で、世の中のコンプラこんなに変わってるのに、ずっと(笑)鶴光だからしょうがないっていう感じの、なんかあれはエロとかじゃないです。下品とかエロじゃないです。鶴光ですっていう感じになってるんで、ずっと続いてんですけど、挨拶行って、その落語家としての、その大御所でもあるし、うちの師匠との落語仲間でもあるし、そういう方も全部知ってるから、挨拶行ったんだけども全然変わらない。
75だよ、75…重みがゼロ。その75の落語家って人間国宝とかいうそういう話の年ですよ。思い出すとね、自分が意識して録音したりとか、完全に聴いたオールナイトニッポンは中学校の2、3年ぐらいのときに始まったビートたけしのオールナイトニッポンなんだけど、最初に聞いたオールナイトニッポンは笑福亭鶴高のオールナイトニッポンなんで。
これ今考えるとすごいのは、土曜日の夜、最初ちょっと水曜日やったらしいんだけど、土曜日の夜にやってて、1時から5時なの。要するに当時の1部と2部っていうのをぶっ通しで1人で生をやってたわけで、小学校5年だから、そこの皆さんも若い頃は経験があると思いますけども、1時まで起きてるのもすごい大変なの。これが1時から5時までだから鶴光のオールナイトニッポンを聞いてると、もう日曜日は台無しなのよ。万が一起きてられたら、もう起きたら夕方ぐらいになってるから、そんな感じで。
それがね、何で聞き始めたかっていうと、番組本でコーナーを本にして多分相当なベストセラーになったんだけど、『驚き桃の木びっくり話』っていう本がこれは鶴光のオールナイトのコーナーの一つなんだけど、後に一般化しちゃって、昔よくあったやつだよねってなってるんだけど、なんかいかにも怖い葉書できたやつ、いかにも怖いタイトルがついてる…なんか『悪の十字架』みたいな、悲鳴がキャーって入ったりとかして、鶴光師匠が怖い感じのトーン…なんかその日は朝から寝起きが悪く、ちょっと変な感じがしてたんだけども、それでも家の中にいてもどんどん陰々滅々とするだけだから表に出ようと思って、起きて歩いてて、それでも曇り空で何か商店街歩いても気分が乗らなかったと。最後の角を曲がってパチンコ屋に着いたんだけど、「開くの10時か」っていう超面白いやつ。
これがもう小学校5年の俺に突き刺さってしかもさ、みんな見てないから、みんな聞いてないから、俺の作った話として、要はその本買って覚えて俺の作った話として、みんなに「田中くん超面白いよ。カブトムシみたいな臭いするけど、超面白いよ」なんつってね。田中が面白いっていうその名声を初めて得たのが多分それ。
今考えると、それをさ笑福亭鶴光が話した、そのある意味オチのある話を俺はそこで一生懸命覚えて、人に披露してるわけだから、下手すると、落語家としての第一歩を俺はそこで踏み出してるような気がしたり、みたいな。それが笑福亭鶴光。
他のコーナーとかも、低俗で。『何それ文』っていうコーナーが単純に普通にある古典の小説を朗読したりとか、正露丸の説明書とかオロナインH軟膏の説明書とかを伏字にいっぱいして「あれを押すと、先端から出てきた、何を」みたいなのを単純にチューブ押すと、オロラインが出てきてっていう…俺それで抜けたんだよね。
構成作家:あははははは
伊集院光:オールナイトも昔ニッポン放送は良いときだけのニッポン放送っつって、どんなヒットしても2年間で終わりっていうルールだったのを、このぶち抜きの鶴光師匠のオールナイトニッポンは10年以上やってるんで、終わった後も、今度夕方の番組とか20何年とか、やってんの。
なのに伝統みたいなものを一切感じない。なんかド鶴が…大体あの頃はリスナーの人はハガキに「ド鶴!ド鶴!」って書いてくるんだけど、俺が「この後は、鶴光の噂のゴールデンリクエストです」…僕の番組の後そのまま生放送でゴールデンリクエストだから、「鶴光の噂のゴールデンリクエストです。ド鶴!」って言ったら、当時は必ずあの葉書に「おい!ド鶴」って来るわけ。「なんやねん!ド鶴って」って言い返すんだけど、鶴光師匠、久々に言われたって(笑)
構成作家:あはははは
伊集院光:ド鶴いうやつ久々あったみたいな、そんなん交流がありましたね。