5月2日放送TBSラジオ「JUNK爆笑問題カーボーイ」より。
太田光が高田文夫の著書『TOKYO芸能手帖』に書いてある、『およげたいやきくん』の誕生秘話を披露。作曲者の佐瀬寿一氏が印税で一人勝ちしたのに驚いた事を語った。
太田光:
お前も言ってた高田先生の『TOKYO芸能手帖』だっけな。新しく出たんですよ。
田中裕二:
あの本ね。
太田光:
あの本、宝ですよ。アレは凄い。夢中ですよ。本当にいいね。ジーンと来るし、高田先生って改めて、ただのお喋りかと思ってたら…
田中裕二:
そうじゃねーよ!(笑)
太田光:
驚きましたよ。アレもソレもコレも全部高田先生。全部俺ら観てたやつですよ。驚いたのがたいやきくんですよ。
田中裕二:
コレね、本当に知らなかったんだけど。
太田光:
俺も知らなかったんだけど、高田先生のとこに居候みたいにしてた全然まだ売れてない佐瀬さんっていう、佐瀬寿一さんっていう人がいるんですけど、この人が当時、ポンキッキをまずね…
田中裕二:
そう!高田先生が立ち上げ。『ポンキッキーズ』よりもっと前の『ひらけポンキッキ』をね。
太田光:
それの立ち上げですよ。ペギー葉山とかいた。
田中裕二:
そう。二ヶ月間缶詰状態でやらされたと。
太田光:
で、その時に歌のコーナーがあって、居候してた佐瀬さんっていうのがピアノの弾き語りとかをやってた人で器用だったと。何にも仕事が無いから連れて行って、フジテレビ、当時河田町。連れて行って「こいつに何か一曲担当させてくれ」って言って出来たのが『およげたいやきくん』だったという。
田中裕二:
そう!ビックリなんだよね。
太田光:
で、子門真人もみんな事務所契約だったんだけど、佐瀬さんっていうのは当然作曲契約だから、一人印税!一人勝ち。次の日から外車に乗って毛皮着て。
田中裕二:
もう分かりやすい(笑)
太田光:
凄いだからっていうのがあって、未だに親友みたいな感じがあんだけど、それで味をしめた佐瀬さんっていう人が色々企画物のレコードを出すんですよ。
田中裕二:
はい。
太田光:
それが畑中葉子の『後ろから前から』(笑)
田中裕二:
そうなんだよ!これが凄いんだよ。
太田光:
そしてその次の『もっと動いて』(笑)これも佐瀬さんなんですよ。で、調子に乗ってもう一個ね。『大きくなって土筆んぼう』っていうのを作ったらしいんですけど(笑)これは畑中葉子側から拒否されたという(笑)
田中裕二:
NGだって(笑)
太田光:
お前、もっと動いてまで歌って、大きくなって土筆んぼうは拒否するんだよ(笑)
田中裕二:
アレは俺も全く意味が分かんなかったよ。何でコレがダメなんだって(笑)
太田光:
もう最高ですよ。いい話だったねぇ。
田中裕二:
いい話だったね。でもその人凄いんだよね。
太田光:
『暑中お見舞い申し上げます』も『赤い衝撃』も。
田中裕二:
いっぱい書いてて、その後ヒットメーカーとしてヒット曲を何曲も出すんだけど、最初のほぼデビューが『たいやきくん』なんですよ。それが未だにシングルレコードの1位ですからね。
太田光:
で、ひとりだけ儲かったという。
田中裕二:
なぎらさんのB面のアレ(いっぽんでもニンジン)も全部買い取りだったという。
太田光:
驚いたね。凄い話だよね。