4月6日放送TBSラジオ「伊集院光とらじおと」より。
伊集院光が木曜パートナーの柴田理恵と老化から来るいい加減さについて議論。「どうだっていい」と考えられるようになれば楽になると語った。
伊集院光:
今日はスタジオに入るなり柴田さんと「年取って、主に老眼が原因なんだけど、性格がいい意味でいい加減になってきた」と。
柴田理恵:
そうそう。寛容とはこういう事だと思うように。老眼って字書くじゃん。そうすると横棒二本だろうが三本だろうがどうだっていいよって(笑)
伊集院光:
多分、書道の先生は怒ると思いますけど(笑)
柴田理恵:
国語の先生も怒るかもしれないけど、どうだっていいのよ。そういう事で苦しめられてきたじゃん。私達。漢字テストで。
伊集院光:
怒られたよね(笑)
柴田理恵:
そう!どうだっていいのよ。前後の意味が分かっていれば。
伊集院光:
そうるすとさ、古い旧字体の『龍』ってあるじゃない。「左が書けたら、右はどうだって…。この文脈の流れは『龍』だろう」みたいな。
柴田理恵:
そうそう。
伊集院光:
僕ね、髭剃りがドンドンいい加減になってきて、元々オシャレでもないからテレビに出る前にメイク室でザッと髭剃るんだけど、老眼で細かいチェックが出来ないから、大体剃り残しがあるわけ。
有馬隼人:
あははは
伊集院光:
そうすると若いメイクさんが気使ってくれて、ハイビジョン時代だし、「剃り残し、この辺にありますけど」って言われるんだけど、大体笑顔で「うん。元々ね。どうたっていいみたい」って感じになってきちゃってるんだよね。
柴田理恵:
でも「どうだっていい」って自分で思えることは、人に対しても優しくなってるんだと思うんですよ。人の細かいアラとかミスを「ま、いいよ。そのぐらいは」って、ちょっと思って上げられるんだって。
伊集院光:
喋ってて気づいたんだけど、自分の能力が衰えてるのに、どうだっていい性格が発動しない方がキツイ気がするんだよね。若い頃の几帳面で細かい性格のまま、でも老眼は来るだろうし、物忘れもするでしょう。だからそれをもうちょっと若い有馬君が、いい加減なおっさん達を見るような目で見守っているっていう楽屋(笑)…どうだって良くなってるよ。
柴田理恵:
そうなんだよ。どうだってよくなった瞬間、凄い自由になれて楽しいよ(笑)
伊集院光:
皆さんもどうだってよくなっていきましょうよ(笑)