岡村隆史、『ABCお笑いグランプリ』受賞当時の思い出を語る…「雨上がりの為の大会やったけど、戦略でグランプリを獲った」

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岡村隆史、『ABCお笑いグランプリ』受賞当時の思い出を語る…「雨上がりの為の大会やったけど、戦略でグランプリを獲った」ラジオ芸人の小ネタトーク7月21日放送ニッポン放送「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」より。

『ABCお笑いグランプリ』でオールナイトニッポン縁のさらば青春の光やニューヨークが敗退したという話題から、かつてナインティナインが大賞を受賞した当時のエピソードを岡村隆史が語った。

 

岡村隆史:

ちょうど昔は1月15日の成人の日にやってまして、生放送で朝から夕方までずーっと通しでやってる番組やったんで、かなりの人達が関西では観てる番組やったんですけど。

僕らもこれグランプリ頂いたんですけど、僕らの時は完全に雨上がり決死隊が凄い人気で、「雨上がり決死隊の大会や」って言われてたんですけど、雨上がり決死隊が一番くじ引いて、過去の大会上、一番くじ引いて優勝する人は誰もいなかった。生放送ですし、ちょっと重い感じで始まったりするもんですから。お客さんもちょっと緊張してるもんで。

雨上がりが一番にやってウケたんですけど、それがちょっと言うたら前説みたいになってもうて、その後から出た人達がワーって盛り上がっていくという。その時はFUJIWARAもいましたし、バッファロー吾郎もいましたし、よゐこもいましたしですね。結構凄い人達が集まってたんですけど、まぁ…戦略で勝ったというか、僕達が(笑)

僕らの時は藤本義一先生…放送作家の方とかが審査員でしたので、藤本義一先生がどんな漫才を好きかっていうのを、若手らしく小走りでワーって出てきて、テンポよく喋って、舞台も大きく使って、ちょっと動きまわってっていうのが若手らしいって思ってましたから、戦略が見事にハマリまして(笑)

みんながワーってコントしてる中、スーツ着て漫才やったのが凄く目立ちましてですね、藤本義一先生に「良かったよ」って言われて(笑)結局(グランプリを)獲らしていただいましたけどね。ニューヨークも残念でしたけども。さらば青春の光も残念でしたけども(笑)私達はグランプリを獲りました!っていう事だけ(笑)

グランプリを獲ると次の日から凄い売れっ子なんですよ。関西の方でABCの番組ずーっと出ずっぱり。『おはよう朝日』っていうのも朝から、朝一の通天閣やったかな?何かのスタジオからやるんですけど、そこで朝、「昨日『ABCお笑いグランプリ』でグランプリを獲ったナインティナインに漫才を披露していただきましょう!」言うてやるんですけど、狭いとこでやらさせてもらいました。

その番組みんな見てますからね。それはハイヤーが迎えに来てくれるんですよ。朝早いから。ハイヤーなんか乗ったことあらへんけど、朝、実家出たらハイヤー停まってて、ハイヤーで送ってもらって、そっから『ありがとう浜村淳です』とかね(放送作家笑)

浜村淳さんのラジオでも「それでは『ABCお笑いグランプリ』と受賞されましたナインティナインに漫才を披露していただきましょう。張り切ってどーぞ!」ってラジオで漫才もやらさせていただいて、それから取材や何やワーって来て一日。「こんな売れっ子になるんやぁ。忙しいわぁ」って思ったら次の日から何にも仕事無くなるっていう(放送作家笑)

「えー!?一日だけかいな!」言うて…そこからラジオやらせてもらって、ちょうどあの頃はオールナイトニッポンの真裏ですよね。水道橋博士とかもやってたラジオかな。『ヤングパラダイス』やったかな?今もあるのかどうか分からへんけど。そのラジオのレギュラーが決まって。

忘れもせん。「このラジオっていうのは長いスパンで何年もやってリスナーを獲得していくものですから、末永くやっていきましょう。徐々に徐々にリスナーを獲得していきましょう!」って…3ヶ月で終わった(放送作家笑)

そっからずっとレギュラー無し。関西で。そんなんありましたけどね。懐かしいなと思って。

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